先週、大学のサークルの同期で、共に仕事をしていた仲間が急性心不全で亡くなっていたのが

見つかりました。


一人暮らしの彼と連絡がつかないことを付き合っていた彼女が不審に思い、

発見されたそうです。



誰よりもサークルに熱く、広報部のリーダーを務めあげていたり、

ドッシリ構えた存在感で、仲間を統率する能力に秀でており、

リーダーとしてピッタリの人間だったように思います。



嘘みたいで、まだ信じられません。



彼の葬儀には、サークルから代表して同じ部署の数人が参列したそうです。


部署は違いましたが、僕が責任者を務めた去年の夏の番組の、静止画制作を担ってくれていて、

去年の今頃は、毎日のように電話しながら、番組を企画していました。



就職活動を終えたら、

彼を含めた数人と共に大学生活最後の一年間で、インターネット配信の番組制作をやろうと

考えていたところでした。




なんだか最近、私は「死」というものから遠のいていた気がします。

自分は、何も考えずにのーのーと生きていくものだと、それが当たり前であると、

就職活動を通して、キャリアのことを考えながら思っていました。




逆に、

中学生高校生の頃の私は、何も成せていない自分の中で、必死にあがいていたように

思います。



今の自分に、なぜか、ある程度満足してしまっていた気がします。

まだまだ若いのだから、必死で毎日足掻きたい。



高校の頃は、

村上春樹の小説や、ドラマの見すぎで、人(私も含めて)はいつ死んでもおかしくないからこそ、

いつ死んでもいいように人に誠実に、けじめをしっかりと付けてがんばらなくちゃ、

と思っていたのを思い出しました。



確かに今も大学で、付き合いや人間関係、節目節目を大事にしているのは、


いつ自分(他人も含めて)がいなくなっても納得できるようにと、


無意識的に思ってやっていたように思います。




まだまだ無限の可能性があり、恵まれた環境にいるのだからこそ、

本気で足掻いていきたい。



そういう意味で、ぬるま湯に浸かっていた自分の目が覚めました。





亡くなった彼と共に企画を制作していた友人と電話し、


「今はとにかく、さっさと就職活動を全力で終わらせて、

彼の実家(三重)にお焼香をあげに行こう。」


と話し、決めました。



ぬるま湯になんか浸かってられない。



今すべきこと(おそらく就活)を全力で行う。

それが、彼に対し追悼の意を表する一番の方法だと思う。