2年間住んだ、決して満足することはできない6畳のマイルームですが、


やっと、自分好みの生活スタイルを生み出すことができてきたように思います。




バブル時代に財を成した、横柄でどうにもならない俗物たちの住む

高級住宅街とのギャップを感じながら、

自分なりの品位を落とすことなく過ごすというのは難しいものでした。




まあ、この街でもう何年か住むのもいいなぁと思ったりもしています。




スーパーで安いワインを購入し、蔦屋で借りたCDを

友人から譲り受けたコンポで流しながら、読書したり、自炊したりすることが

今のところ最高の幸せだと感じています。





村上春樹の示唆に富んだ文章を読んでいく中で、

小説、長い文章を広めることの効果について考えさせられました。



小説の中で、ある人物像やキャラクターについて詳細に記すことで、

人々は、そのキャラクターについて見え透いてしまうということが大きいのかなと

思います。


オーウェルの「1984年」の中に存在するビック・ブラザーについての記述が顕著に表わしていて、

スターリニズムに関する寓話を用いて、スターリニズムを陳腐化し、それに対して大きな打撃を与える

というものです。


読者の人々はビック・ブラザーについて見え透いてしまい、

その一時代を半強制的に終了させてしまうというものです。




バブルも重なるのかなと思います。


バブル時代を描いたドラマや小説が、その時代そのものを見え透いたものにして、

陳腐化してしまう。



今の若い世代はその一時代を冷静に捉え、虚構世界であることを認識し、

その時代の遺構や文化を消滅させてしまうのかなと感じます。



モノや文化は、見え透いたら終わりだと思います。

見え透いたものだと思われてもです。



深みがあって、捉えどころのない、もやがかかったものだけれども、

全体像の美しさに目を奪われるような。


そういったものが、人々をひきつけ、示唆に富んだ的確な分析をする作家や人々が

見え透いてしまうまでの期間に、大きな時代を生み出すのだと思います。



テレビ文化は、見え透いたものになりつつあります。


それをどう、もやがかかった新しい文化として再構築できるかが大事なのかなと思います。